Tumblrではときどき外国の変わった建物の写真がReblogされて流れてくる。
この感じがとても雑誌読んでた頃に近いと感じた。
自分から探しにいくほどじゃないんだけど、誰かがかっこいいと思ってReblogしたものを眺めるっていうのがとてもいい感じなんだ。
むかしは夜寝る前とか休みの日の午前中とか、ベッドの中でもぞもぞしながら雑誌を読んでたんだけど、いまは枕元に雑誌を置いとくってことを全然しなくなった。
いま布団の中でもぞもぞするときは、iPhoneでTwitter見たりByline(iPhone app)でフィードをチェックしたり、TumblrのDashboardを眺めたり。
雑誌を開くなんてことはまずない。
なんかもう、雑誌は死んだなぁって思う。
自分が年を取って情報感度が低下してるってこともあると思うけど、本屋に行っても読みたいと思える雑誌がほとんどない。
雑誌は新幹線や飛行機みたいな携帯が使えない長距離移動時のお供とか、ファッションカタログや業界の専門誌としてしか生きていく道はないんじゃないかな。
ライフスタイル誌みたいのはどんどんダメになっていく気がする。
途中からTumblrの話から雑誌の話になっちゃったけど、Tumblrにハマって感じたことでした。
それではDashboardに戻ります。

portal shit! : 雑誌とTumblr (via yuco)


ドはドーナツのド
レはのレモンのレ
ミはミイラのミ
ファはファラオのファ
祖は太陽神
ラーより生を受け
死は一時の眠り
仮初の肉体を抜け出し今ここに蘇らん


そして、あっさりと言ってしまえば、彼らは国家の機軸に天皇を立てることを考え付いたんですね。
伊藤博文が外遊して、各国の憲法を全部調べて、国家には国民統合の中心となる機軸というものが必要なんだと、そこで、戊辰戦争のとき「玉」としてかついだ万世一系の天皇の権威というものをあらためて思い浮かべまして、天皇家を中心とする国家をつくったほうがやりやすいというので、明治二十二年に憲法を定めた、ということなんです。


「生きてるんだから、生きててよ」って、そんな簡単なもんかねと思うけど、案外そんなもんかもね。
あのひとが居るから、くじけるわけにはいかんのだ、と思える「あのひと」が、誰にとっても必要だ。
生きて行くために、想うことの出来る存在が。
つくづく思うよ。
他者の無いところに人生なんて存在しないんだって。
人生は、他者だ。


普通の人は「子供」のことを「未成熟な大人」と定義して、理解しています。これは「子供」よりも「大人」のほうが優れているという考え方ですよね。でも、キース・ジョンストンは、全く逆に考えるんです。

大人とは、委縮した子供である

本質的には「子供」と「大人」の違いなんてないってことです。人間は、年齢が低いころは自分自身であり、自分らしく振舞います。でも年齢が高くなってくると「他人の目に映る自分」をつくりはじめ、自分らしさから離れていくという、ただそれだけのことなのだと思います。

(VIA NUBONBA-BLOG)


14歳の時に好きになったものがその後に影響する。
その理由は深夜を発見するから。
親が寝静まったあと、クラスの誰も知らない、初めて自分が好きなものを見つけるのが深夜なのだ

— 嘉島唯さんのツイート


元サッカー日本代表・戸田の解説がいいのは、「サッカーは互いのチームが意図をもって仕掛け合う相互作用のゲーム」という前提に立ち、双方のチームの思惑やらプレーについて解説しているところだと思う。
こういう見方がもっと広まれば、「自分たちの(略)」みたいな捉え方から脱却できると思う。


世の中がつまらない、と言うのは、自分がつまらないことなのだ。


ディズニーでは人権のある犬と無い犬が同時に出てくるから頭の体操にいいと思うよ。

— ぐっちょむさんのツイート


他人と分かちあうことをしぶる魂は、概して、それ自体、多くを持っていないのだ









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